misoka

ビジネスライクに言えば、結果からみるとプロセスは想像出来るだろう。 この写真は不眠で討議したみそか放談後、午前6時過ぎの顔ぶれです。 実に清々しさを感じる光景です。
北朝鮮の短距離ミサイルより、みそか放談の方が現代に向けてのメッセージであり、まさに砲弾であると後記としてタイトルにしました。

本音や建前などという理屈ではないエネルギー感

企業の社長、都銀支店長、自治体や行政の責任者、大学教授・・・ これだけのバリエーションある人選が、公人としての立場ギリギリで白熱したトークをする。 そんなことが三重県であった。 それも伊勢という地でだ。 堂々巡りな会議に2・3時間メンバーで入ることもあるが、そんなものとは比較にならないガチバトルとエネルギーを感じました。

まず、一般的な思考で考えて欲しい。 昔ならもっと自由にぶつかりあっていたから普通だったのかもしれない。 でも今では教育現場でも必要以上に干渉しない、いや出来ない・容認すらしない世の中にあって、アベノミクス・TPP、少子化問題、若者についてなどを皆の立場からみる意見を発言する・・・ まさに現代だからこその発想力だと思う。 だからこそ会議の議論でもなく何かを決める意味でもなく、写真の様な爽快感ある結果になったと感じる。 そのセンスを持った大人達だからこそ脱帽と思うのです。

バーチャルに慣れ過ぎた社会へのリアルという意味

万協製薬 松浦信男社長、赤福 濱田典保社長のとても人柄ありユーモアある司会によって、参加者の本音が引き出されたわけですが、私が疑問に思う地域社会とは?という謎を解決する光は、まさにみそか放談後の内宮参拝で射した気がした。

私は参加者なので静観しつつ人生初の参拝を経験した。 それは濱田社長筆頭に、北村物産 北村祐司社長など伊勢を地元とする方々がすれ違う市民の様子だった。 時に会釈され、また元気?などと声をかけられかけること。 三重県人というくくりでは私も同じだが、やはり地元という意味でこれが本来のリアルで生きる人達の価値であり、私が思っていたことが実践出来ている街だから魅力があると感じました。

それは、スマホ的に言えば『街に必要な人物像のアイコン化』が大切ということです。
年配の方はスマホなどには嫌悪感があると思いますが、次世代の子供にはデジタルネイティブです。 そして文字の読めない幼児で究極に捉えると、大人の様に理屈ではなく判断しているのはイメージです。 一市民という目線から考えると、街にそんな分かりやすい大人達が居て、『あっ、あの人だ!』という声をかけなくても触れ合う機会が現代には欠如していないだろうか。 日本人は祭り好きだと思うし、おかげ横丁などで感じることが他の商店街に感じない理由ではないか?と考えています。

なので結果として分かりやすい『芸能人』と街中ですれ違った時に感じる感覚が都会にはあり、そんな楽しい街を求め人も流れるのではないかと感じています。 仕事がないからという理由も分かる。ただ仮に死ぬことない食料や住居を提供されたとして、真に魅力があるとはそんな部分ではないのかと思う。 ふれあいが面倒な人はシステマチックに過ごせばいいし、市民全員にアイコン化を求めるわけではない。 品質でいう1等級という『絶対値からの相対感』を感じる意味で、人も街もそこに『代表し尊敬される魅力的な人を作る必要がある』と思う。 芸能人でなくてもちょっと有名人が町を歩く・・・ 素人でもいい。 それこそが地域振興の失ってしまった一つのキーではないのかというのが私的な意見です。
現実あっての仮想という部分、所詮シミュレーションでは頭で分かることは出来ても、『心や体で感じることは不可能』であり、本来の人という像からかけ離れていくと思う。 それは人が理解する上でも大切な要素なのです。

 

私は松浦社長が行っているリアマツというプロジェクトも、そんなそんな現実の大切さを知ってもらう意図を感じています。 でも現実は現実。 所詮ネットという媒体を介しているだけでは頭ばかり大きくなり、いつまで経っても心は動かず負のスパイラルを生むと断言出来る。 アナログあってのデジタルという本質は原則で不変である以上、重要なのはどこかは自ずと答えが出るはずです。
そう、経験しなければ『頭と心のズレは補正出来ない』と思うのです。 ネットだけでは勘違いをします。

みそか放談はそんな都市に対する地方への逆転の発想というヒントが分かった一日でした。
秋元康流で言えば、『美味しい野いちごはみんなのいる場所にはありません』という表現。 私的に考えるJOBポータビリティ構想も未開拓が故に野いちごと思います。 社長や責任者が討議する『本物からしか得られない真相』をこれからも学ぼうと思います。